集住の超克
文明は都市の成立によって生まれたと言ってよいだろう。集団的な農業による余裕なくして文明は成立しえず,集団的な農業には強固に結びついた大きなコミュニティが必要である。古代ギリシアにおけるそれは集住=シノイキスモス synoikismos と呼ばれ,近代国家成立の前史として知られている。文明史は,都市の隆盛と衰退によって紡がれてきた。
人が集まることのメリットは多くある。外敵からの防御が容易になること。生産の分業化・集団化による効率向上。共用インフラストラクチャや社会的セーフティネットの構築。これらはいずれも人類文明の驚異的な発展の根源であり,都市の巨大化こそ文明発展の原動力であった。
一方で,都市の限界は早くから明らかになっていた。古代ギリシアの都市はある母市から派生する形で建設されたが,経済的・政治的に独立した存在であった。ポリス=都市に依存していた古代ギリシアのコミュニティは,都市の物理的な限界に制約されていたのである。(成文)法,世界宗教,絶対王政,ナシオン,連邦制といった諸概念は,素朴な集住の限界を超克するための試行錯誤のなかで発達してきた。
いま,感染症パンデミックのなかで,人口集中が問い直されつつある。
東京は世界有数の大都市であり,都市圏としては世界随一の規模をもつ。しかし,これは必ずしも良いことではない。それ自体災害にきわめて脆弱であることは言うまでもなく,資本と雇用の偏在はひとつの列島に宗主国と植民地を出現させている。あらゆる機会が東京に集中している以上,地域経済再生もコンパクトシティ化も絵空事に過ぎない。東京に移り住んでも,家賃の高さが可処分所得を制限するのはもちろん,お粗末な住宅や通勤ラッシュの過酷さは GDP に現れない豊かさを奪い去る。低い出生率で国全体の人口が減りつつある中でも,東京へは人が集まり続けている。多くの自治体にまたがることによるグランドデザインなき開発が真綿のように首を絞める。東京は限界に近づきつつある。
考えてみれば,法や世界宗教は文字,絶対王政は官僚制や常備軍といったように,新たな(あるいは再確立された)テクノロジの登場を背景として発明されてきたものである。いまや我々にはコンピュータがあり,インターネットがある。どちらも火や文字の発明と比較されるほど disruptive なテクノロジである。インターネットの商用利用の開始から数えても,既に30年が経っている。それでもなお30年前と大同小異の文明のあり方を維持しているのは,考えてみると奇妙なこととは言えないだろうか。
人がもつ五感のうち最も重要な聴覚と視覚は既に(程度こそあれ)サイバースペースを通じて伝達可能である。質の面でも向上が進んでおり,VR はその顕著な例である。こうした技術は,社会からの要請さえ高まれば,更に飛躍的な発展を遂げることだろう。
社会の側でも,多くの人が物理的に近接して住む必要性は薄れつつある。日本について見ると,法の支配と社会政策により世界でも治安の良い国のひとつとなっている。「一億総中流」崩壊の副産物として,ゲマインシャフトとゲゼルシャフトが分離しつつある。物流手段の発達により多くの物資を効率的にやり取りすることが可能になり,今や自動運転も実現しつつある。
つまり,文明が次の進化を遂げるための諸前提は,急速に整いつつあるのである。
もちろん,このラディカルな変化に伴う痛みは計り知れない。これは今までの人類史を顧みても明らかなところである。また,上に挙げたような諸条件の整備も未だ万全とは言えない。しかしながら,いち早く変化を取り入れられたコミュニティがテクノロジの活用によるアドバンテージによって覇権を握ってきたことで,言うなれば人類は変化を強いられてきた。ひとたび火が付けば,燃え広がるのはあっという間である。もはやいつ火がつくともわからない状況なのであれば,なるべく早く順応することで,先行者利益を掴んだほうがよい。
この変化はラディカルなものではあっても,文明の原則を変えるものではない。古代ギリシアにおいて特権階級を意味した「市民」がフランス革命を経た近代国家では「すべての人」に読み替えられているように,社会のありかたは絶えず再解釈され続けてきた。その意味では,この傾向は反・集住でさえない。集住の読み替えであり,前提の変化を受けた止揚である。主権者が君主から国民という virtual(「実質的」に近い意味を持つ,英語本来の意味において)な存在へ移ったように,ポリスは physical な限界を超えた virtual なものとなるのである。
今年のことがどのような結果をもたらすのかはわからない。しかしながら,文明の進化への選択圧は高まる一方であり,そのための諸前提も急速に整いつつある。少なくとも,そう遠くない未来には,今年がリーディングケースとして顧みられることになるだろう。その意味では,今年起こるすべての変化は未来のための重要な礎になるであろうし,試金石となるとも思う。
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