「少女終末旅行」考察メモ
アニメ版準拠。ただし,必要に応じて漫画版も参照。何か思いついたら随時更新?
当然ながら超ネタバレ注意!
世界について
場所
作中で使われている文字はいくつかあるが,ほとんどは日本語に由来しており,訪れたのはいずれも日本語圏であることがわかる。したがって,舞台は史実現代における日本の未来であると想像される。
時代
(史実現代)→「古代人」の時代→文明崩壊に至る大戦→復興→(戦争と平和の繰り返しによる衰微と滅亡の確定)→チトとユーリが住んでいた集落の戦争(最終戦争?),という流れ。
「古代人」の時代にはきわめて高度な文明が築かれており,超常的なまでのインフラが作られた。これらは長い年月を経てもなお稼働し続けているものがある。この時代には,史実現代の日本と同様の文字が使われた。しかし,あるとき起こった大戦により文明は失われ,遺産もほとんどが破壊された。この頃の文字も史実現代のものに近いが,やや変形している。
戦後,生き残った人々は,残った生産施設や資料をもとにある程度の復興を果たした。第二次世界大戦中程度まで文明力を回復し,車両やプロペラ機のような機械であれば生産することが可能になったようである。しかし電子工学の発達には至らなかったようである。生態系が存在しないため食料さえも古い生産施設に頼らねばならないものの,「古代人」たちが作り上げた自動制御の生産設備を修理・新設することはできなかったのである。この間も戦争を繰り返し,古代の遺産を喪失するとともに,人類はゆるやかに衰微していった。時代が進むに連れて文字は簡略化されていった。
二人の時代の年代については,カメラを使うシーンで画面に「3230.08.06.14.52」との表示があり,もしこれが正しく設定された日本式の日時表示だとすれば,3230年であることが伺われる(もっとも紀年法が西暦であるかも含め不明である)。
文字
先述の通り,文字の種類は遺物の年代を比定するのに役立つ。
古代の文字は史実現代の日本語と同じであるが,時代が下るにつれて字形が幾何学的になり,さらには漢字・カタカナが使われなくなり平仮名に由来する文字のみになるなど,簡略されていく。
一方,文法や語彙は二人の時代に至っても比較的よく保存されている。
上の層ほどチトには読めない古い文字が多く,街頭が機能するなど遺跡が比較的よく保存されていることから,文明崩壊後の人口は下の階層に集中していたものと思われる。
なお,他にアルファベットに基づく表記もある。古い時代には英語もあったことが示されている。
風景
幾層もの階層状に伸びたプラットフォームに都市が形成されている。高度に都市化されており,現在も稼働している食料生産施設の中を除けば,ヒト以外の生物の姿はない。動物が存在しないのはもちろん,雑草も生えておらず,そもそも土壌自体がない。森林のように見える景色も,よく観察すると鉄柱や風力発電機といった人工物である。ヒトもまた絶滅を目前にしており,きわめて稀にしか存在しない。
都市はひどく殺風景な廃墟であるが,「古代」の自動化された高度なシステムが今なお稼働している場合もある。食料や燃料はもちろん焚き火にする有機物を探すのさえ困難であり,常に探索を進めることによってしか生き延びることはできない。これは,戦火による喪失や生存者による消費が長年に渡り繰り返された結果だと考えられる。反面,脅威となるべき人や獣は既に存在しないので,安全に進むことができる。
末期の人口は下の階層に集中していたとみられ,上の階層ほど遺物がよく保存されている。
宗教
神
大戦後,人類文明はある程度の復興を果たしたが,結局のところ失われた原理で動く古代のインフラに依存しきっており,いつか寿命を迎えるインフラと共に滅びる運命にあった。このことは彼ら自身も痛感していた。大戦前の文明水準を回復することなく人類が滅びることが避けられなくなったあと,まだ生活に余裕が残っていた時代の人々の間では,終末論的な色彩が色濃い独特な宗教が広く信仰されていた。
この宗教における神的存在は少なくとも 2 種類存在する。ひとつは女性の姿をした「神」である。像が寺院に祀られており,主神格とみられる。ただし唯一神であるかは定かでない。もうひとつはチンアナゴのような姿をした神で,像が都市の随所に設置されている。
なお、通信が途絶した大戦後の成立と見られるので、別のプラットフォーム・階層では別の宗教が発達したと考えられる。
信仰と背景
寺院からは,浄土信仰に近い教義をもち,用語やモチーフ(蓮など)もそのまま引き継いでいることがわかる。
墓地は野外にびっしりと並べられた引き出しに遺品を収めるという特異なもので,遺体が収められた形跡は見られない。
教義面では,浄土信仰に加え古代人の超常的な遺物への信仰も合わさっている。寺院で見られる魔法円様の装飾は,ロボットとの接触時などに AI の象徴として表現される文様と類似している。漫画版ではより決定的な描写が存在し,女性の姿をした神のベースとなった人工知能が登場し,その来歴を語る。人智を圧倒する古代の知識を伝える AI を,絶対者として神聖視したのである。
都市で見られる「神」の像のベースとなっているエリンギ(ヌコ)たちはこの世界では唯一と思われる分解者であり,人の死と密接に関わり合っていたと考えられる(後述,登場人物についての項を参照)。特異な墓の形態もこれゆえであろう。エリンギ(ヌコ)の特殊な役割に終末=救済を見て,神として崇拝したものと考えられる。
人類について
なぜ滅びたのか?
遥か昔,地球の限界を超えた人口増に対応するために極端に高度な都市化をした結果,レジリエンスが失われた。やがて古代人の間で大戦が発生し,脆弱なインフラが破壊されたことが,文明の喪失に至る破滅に直結した。
古代人の大戦のあとも人類はかろうじて存続したが,生物多様性が失われたことにより農耕や水産による食料生産は不可能であった。稀に古代の食料生産施設が今も残って稼働しているものの,その技術は失われており,修理することはできない。また,生産のすべてを修復不可能な古代のインフラに依存していることにより,戦争に対してきわめて脆弱である。
チトたちの集落の戦争も,依存していたインフラが故障した集団が襲撃してきたものと想像できる。生産性に対して軍事力があまりに過剰であるため,残ったインフラも奪い合う過程で破壊され,敵・味方とも容易に全滅したと考えられる。
宇宙移民の可能性
漫画版では,比較的後代になって宇宙移民が試みられたものの失敗したことが示唆されている。そもそも科学技術の停滞や資源の不足から宇宙移民は到底おぼつかないはずである。大戦前であれば可能だったかもしれないが,そのようなことが行われたような描写はない。強烈な終末論はおそらく計画失敗による人類滅亡の確定を受けてものだろう。
チトとユーリについて
名前の由来
人類で1・2番目の宇宙飛行士であるユーリイ・ガガーリンとゲルマン・チトフに由来するものと考えるのが自然。チトの由来としてありえるのは他にユーゴスラヴィアの政治家「チトー」や第二次世界大戦中の戦車「四式中戦車チト」があるが,ユーリに比定できるものがない。
また,月や星についての言及が多いことも宇宙開発史への参照を示唆している。 これが単にメタ的な名付けなのか,後述する「おじいさん」がつけたものなのかは不明。後者の場合,実は引き取られたのはユーリが先なのかもしれない。
生い立ち
故郷
2人は以前下層の集落に住んでいたが,戦争によって逃げ延びてきた。 2 人とも史実現代人と変わらない程度に骨格が発達しており,かつてパンを作った経験もあることから,開戦に至るまでは食糧事情はかなり良好であったものと考えられる。 戦争の結果,集落は既に滅んだものと思われる。
おじいさん
2人は「おじいさん」と呼ばれる人物に養育されていた。関係性ははっきりしないが,漫画では,チトとユーリは孤児が引き取られたものとして描かれている。 おじいさんは軍人か外交官のような身分であったとみられ,任務で世界中を回ると共に,既にかなり貴重となっていた本を蒐集していた。チトの知識の大半はこの蔵書に由来する。
おじいさんはなぜ上を目指すよう言ったのか
物語の結末との関係で,おじいさんはなぜ上を目指すよう言ったのか――おじいさんは上に何があるかを知っていたのか――が問題になる。
個人的には,おじいさんは殆ど何も知らなかったのだろうと考える。もし何か具体的な情報を持っていたのであれば,それをあらかじめ二人に伝えておかない理由はまったく存在しない。
一方で,上の階層ほど遺構がよく保存されていることや,上層が無人で特に脅威がないことは把握していたのかもしれない。集落の破滅が目前になるも二人を自ら手にかけることはできず,残された遺構のなかにひょっとしたら食料生産施設が残っているかもしれない,という程度に考えたのかもしれない。
このあたりについては作中に特段の描写はなく,メタ的には,物語たりえる一種不自然な状況を作り出すための舞台装置であり,ストーリー上特に意味はない(おじいさんが何を知っていたのかは定義されていない)ものとみられる。
装備
ケッテンクラート
ケッテンクラートは第二次世界大戦下のドイツで開発された小型の運搬用車両で,構造上の難点が多く史実ではあまり利用されなかったものの,独特な外観からさまざまな作品で引用されている。
作中に登場するケッテンクラートは,古代の設計を元に近年になって再生産された品である。ただし,史実のケッテンクラートを超越する耐久性や燃費をもつので,単なるデッドコピーではなく何らかの改善が施されている可能性もある。
都市に散在するサイロに残されている燃料で稼働する。この燃料は石油に似ているが,天然の石油が残っているはずがないため,なんらかの人工燃料だと考えられる。
コンロ・ランタン
いずれもケッテンクラートと同じ燃料を使用しており,これらも比較的近年に製造されたものと思われる。
衣類など
かつて住んでいた街の軍用支給品とみられ,独自のマークが付いている。意匠は他の装備品と同様に史実第二次世界大戦ごろのものに基づいている。
知能
幼少時に街を出て以来,教育を受けていないどころか,他の人と遭うこともなかったことから,実際の年齢と比べて遅滞があるものと考えられる。ただし,チトの理解力は非常に高く,ユーリも分野によってはすさまじい才能を見せる。他の生存者も高い能力を持ち,種としては史実現代のヒトより高い能力を持っているものと想像される。
生物
ヒト以外は,食料生産施設の中でのみ生存できる遺伝子操作された種(鱗のない魚や四角い芋など)を除き,すべて滅んでいる。 魚養殖施設の自律機械は,かつて人類が他の生物を意図的に排除したことを示唆した。
獣や虫といった動物の姿がないのはもちろん,植物も存在していない。雑草も生えておらず,一見樹木のように見えるのは鉄柱や風力発電機といった人工物である(先述「風景」の項を参照のこと)。
微生物(細菌等)も滅びたのか
3 種類の説が考えらえる。それぞれの根拠と(想定される)批判は以下のとおり。
A. すべて滅びた。
根拠:非常に古い(数十年前~数百年前の)食料が食用可能な状態のまま残っている。雑草はもちろんキノコやコケに至るまでをすべて排除できた技術力・政治力があれば,細菌も排除できて不自然ではない。大気の組成変化,水没などによりヒトと人が残すことを決めた生物以外が全て滅びた可能性もある。2 人が風邪や食中毒等の疾病を恐れている様子がない(もし存在すれば知識として知っていて恐れるのが自然)。
批判:B 説参照。
B. 多くはそのまま残っている。
根拠:食品の保存技術は史実の過去100年程度でも大きく向上しており,次の数百年では想像できないほどの技術の飛躍が期待される。生物が直接関与しない錆や風化も経年のわりに少なく,数百年前の機械が動いていることからも傍証される。
批判:A 説参照。エリンギが分解者として崇拝されているという仮説と齟齬がある。
C. ごく一部が残っている。
根拠:折衷説。自然災害を契機に滅びたという仮説と親和的。
批判:直接の根拠はない。ご都合主義的。
どの説でもよく説明できる。
関連する問題として,腸内細菌など常在菌の存否がある。もっとも,ヒトに必須の共生細菌はないと考えられており,実験動物では無菌飼育で健康的に生育できることから,ヒトも無菌状態で生育できるのではないかと想像される。
なぜ生物の痕跡(骨など)がない?
下記,「エリンギ・ヌコ」の項を参照。
登場人物
カナザワ
眼鏡をかけた柔和な男性。最初の遭遇者。
都市をあてどなく彷徨っている。かつてはバイクで移動していたが故障し,その後は徒歩で進むこととなった。常にタバコを吸っており,時折頭につけた HMD らしいゴーグルを使う。地図の作成をライフワークとしている。精密な爆破解体によりビルで橋をかけたほか,二人と別れる際に愛用していたカメラを与えた。
エレベータで階層を登る際に鞄を落とし,それまで作成していたすべての地図を失った。カメラの映像から,かつて作中には登場しない女性と共に旅していたことがわかる。
カナザワの言動は一見落ち着いているが,どこか強迫的な部分がある。そもそも誰にも参照されないであろう地図を作ることに実際的な意味はないし,その意味がないはずの地図を失ったときは死をも望んだ。伴っていた女性とはおそらく死別したのだろうと考えられるが,カナザワにとっての人生はそのときに終わっていたのではないか。地図の作成を長く続けていたのは,何かしら目的を持つことで絶望を紛らわせるためだったのだろう。
上階にたどり着いてすぐに二人と別れたのは,食料や燃料の困難や行動パターンの違いもあるのだろうが,決してそれだけではないだろう。まったく未知の領域へやってきた以上,少しでも生存の確率を高めるためには,せっかく得た道連れから離れるべきではない。それでも自ら離れることにしたのは,その後に予想される苦しみや悲しみを経験するよりも,むしろつかの間の会遇を美しい思い出として胸にしまっておきたかったからなのではないか。実のところ,カナザワは近い将来の旅の終わりを予期し,また望んでいたのではないだろうか。そして地図を失ったこととにより,ついに「絶望と仲よく」なったのである。
なお,カナザワという名は「電脳コイル」へのオマージュではないかと想像される。「電脳コイル」の舞台は金沢市にほど近いとみられる架空の都市「大黒市」であり,作中には金沢駅も登場する。「電脳コイル」では AR グラスがキーアイテムであり,カナザワは HMD を常に身につけている。
イシイ
眼鏡をかけた女性。二番目の,そして最後の遭遇者。
放棄された空軍基地に住みつき,残された設計図や資材をもとに飛行機を作っている。その目的は遠くに見える向かいのプラットフォームにある都市を訪れることである。基地は快適ではあるが,近くの食料生産施設は最近機能を停止し,食料は残り少ない。他のリソースも長く持たないだろう。もちろん向こう岸の都市に何があるのかは知らないが,現状を打破する何かがあるはずという漠然とした期待を持っている。
飛行機の設計・製作という知的作業は,単純作業の繰り返しとは違って,ただ現実から逃れるだけのためにできることではない。明確な目標に対して計画的に作業を進めていったという点で,本作の登場人物の中では特異な存在と言える。そしてついに,二人の助けを得て,飛行機を飛び立たせるまでに至るのである。
ところが,その向こうに待っている運命は過酷なものだった。飛行機はあっけなく空中分解したのである。脱出用パラシュートが機能したものの,下の階層にはおそらく何も残されていないだろう。生活の全てであった飛行機の製作はまったくの徒労に終わり,結果としては,快適な基地で静かに終わりを待っていたほうがよかったことになる。それにもかかわらず,イシイは何かを成し遂げたかのような晴れ晴れとした表情で,下へ下へと降っていった。
実のところ,向こう岸の都市もまた何もない廃墟でしかなかったはずである。最後まで強力な目的意識を持っていたイシイであるが,そのことには薄々感づいていたのかもしれない。そして,長い時間をかけて作り上げた飛行機と,それによって保たれていた希望を一気に失い,イシイは「絶望と仲よく」なった。
自律機械
魚生産施設において,機能する自律機械(ロボット,特に 強い AI を持つロボットの作中での呼称)が 2 台登場する。1 台は人との会話能力を持つ小型のもので,汎用的な機能を持つ。声のクレジットでは単に自律機械となっているが,区別のために汎用自律機械と呼ぼう。もう 1 台は大型のもので,建設・修繕を担当する。仮に建設自律機械と呼ぶ。他に,故障しているとみられる自律機械やその残骸が多く存在する。
汎用自律機械は残り一匹となった魚の飼育を続けており,建設自律機械は施設の修理を担っている。ところが,チトとユーリの 2 人が訪れてしばらくしてから,建設自立機械は突然に施設の解体を始める。2 台はしばし(電子的な)対話をするも決裂し,汎用自律機械は二人の協力を得て建設自律機械を破壊し,施設の解体を阻止する。
このエピソードにおけるテーマが「生命」であることを考えると,この事実は多分に示唆的である。チトにとって自律機械は単なる道具ではなく,むしろ「生命」に近い存在であることが示されている。チトは,それを「殺す」ことを決断したのである。ユーリが食料としてしか認識していなかった魚を守るべき「生命」として認識したこととは対照的である。
この対比の意図は正直なところわからない。実のところ,あまり意識して構成されたわけではないのかもしれない。
ただ,以下のことは考えられる。残り 1 匹となった魚を守ったところで繁殖することもできず,せいぜい数年から数十年で死ぬだろう。カナザワの地図製作と同じで,結局のところ現実的な意味は何もない。建設自律機械はおそらく,施設が修復不能な場合に安全に解体することも役割とされていたのではないか。そして,もはや主がなくなったようである施設を解体することで最後の役割を果たそうと考えたのである。二人は魚を食べようとしないが,施設が破壊され魚が死ねば食べるかもしれない。施設は食用魚を生産するためのものであり,人類に食料を供給することを目的としている。こう考えると,異常な動作をしているのは明らかに汎用自律機械の方である。
一方で,建設自律機械はおそらく自らに降りかかる危難に気づきつつも,それを避ける様子がない。そもそも人がいる状態で施設を解体すれば事故のおそれがあり,不自然であるともいえる。それでも二人がいるときに解体を始めたのは,今こそが最後のチャンスだと考えたからかもしれない。すなわち,「殺される」ことを理解しつつ,それを望んだのである。ロボットは人と違い,それが許されてない限り,自ら「死」を選ぶことができない。
漫画版では明確に死を与えられることを求めた人工知能も登場する。長きに渡って主なき施設を守り続けた建設自律機械もまた,死という救いを得るために施設の解体を始めたのかもしれない。少々穿ちすぎの感はあるが,この推測が正しいのであれば,物言わぬ建設自律機械こそがこの挿話の主人公ということなるだろう。
そう考えると,気の毒なのは後に残された汎用自律機械である。魚が死んだそのとき,地図を失ったカナザワや飛行機を失ったイシイのように,突如として茫漠たる虚無を突きつけられることだろう。ヒトのように不合理な行動をとるほど高度な人工知能であれば,「絶望と仲よく」なることもできるかもしれない。しかしその時,彼は一体どうすればいいのだろうか。
エリンギ・ヌコ
白くて細長い謎の生物(?)。二人が遭遇したヌコはエリンギの幼体で,成体はエリンギのような形に変形できる。なお,「エリンギ」は正式名称(エンドロールを見よ!)。 高い知能を持つ。音波ではなく電波でコミュニケーションを取り,電波を音として表現できるラジオ等の受信機さえあれば意思疎通が可能。
何を食べる?
非常に大きなエネルギーを蓄えたものを好んで食べる。燃料や火薬をはじめ,有機物全般を食べられるものとみられる。一方で,薬莢など付随する無機物を避けようとする様子はない。一般的な生物とは消化のメカニズムが異なることが示唆される。
あるエリンギ曰く,「我々は生きている人間を食べたりはしない」……つまり,死んだ人間は食べる模様。一方で,車両の燃料など,生きている人間の生存に必要なものは食べないようである。
墓地を含め都市に生物の痕跡がないのは,おそらく死亡後すぐにエリンギたちが完全に分解したためであろう。
正体
正体については,以下の 3 種類の説が考えらえる。それぞれの根拠と(想定される)批判は以下のとおり。
A. 生き残った生物
根拠:他の遺物の文明レベルを明らかに超越している。また,本作では機械と生物のデザインは徹底して区別されており,ロボットはたとえヒト型であっても角ばった形をしているところ,明らかに有機的なデザインである。
批判:B 説参照。
B. 「古代人」が作った生体ロボット
根拠:巨大ロボットを起動したり,潜水艦のロックを解除するなど,古代人の遺産を操作できた。音波とは全く原理の異なる電波でコミュニケーションを取る。自己進化するロボットの存在が示唆されている。銃弾や核燃料などを速やかに消化してエネルギーに変換することが炭素に基づく生物に可能なのか。
批判:A 説参照。
C. 宇宙人(炭素以外に基づく生物)
根拠:A 説・B 説の難点を解消できる。
批判:直接の根拠がない。下からきて上へ上がって行っているのはなぜか。
個人的には B 説が妥当に思われる。奇妙な生態やヒトへの配慮も,戦争のサーキットブレーカとなる役割を帯びてプログラムされたと解せば説明できる(対照的に,生物の進化は自然選択であり,目的を持ちえない)。
その他小ネタ
ユーリがチトに銃口を向けたシーン
このシーン,漫画版では引き金に指をかけておらず,アニメ版では引き金に指をかけて描写されていることが批判されている。暴発に至る危険性が非常に高まるので,引き金には撃つ直前まで指をかけてはいけないという運用になっているのが通常であるためである。表現としても「本気」を示す記号として象徴的に使われるものなので,違和感がある。
ただ,アニメでのユーリの描かれ方からすると,これもこれでおかしなものではなかったりする。すなわち,漫画版でもユーリは生や死という概念を明確に理解していないところ,アニメ版ではその傾向がさらに顕著になっているのである。そもそも,ユーリは銃で人を撃ったことがないようである。下手をすると銃で人が撃たれるところも見たことがないかもしれない。ましてや軍隊で訓練されたわけでもなく,子どもが輪ゴム鉄砲を人に向けるように,まったく素朴に驚くほど軽率な行動を取ってしまうのである。そもそも,ふざけて(「レーションバーを食べる」ことが目的なら車に在庫が山ほどある)銃口を向けるところからして,マトモな訓練を受けた者であれば絶対にありえないムチャクチャな話である。
個人的には,ユーリな精神的な幼さと,それでも信頼している(そして信用するほかない)チトという描写として自然に受け取った。ただ,メタなことを書くと,ここは『平成生まれ』の影響を受けてブラックジョークとして挟まれているプロットだと思われるので,やはり原作の意図から大きく離れていることは否めない。
ユーリの練度
先に関連する。ユーリはすぐ銃を構える癖があるが,カナザワやエリンギなどへの対応で脇が甘いところが見られる。狙撃は非常にうまいものの,いわば天性の才能であって,高度な軍事訓練を受けたというわけではなさそうである。
電磁波爆弾(カメラに記録されていた映像)
このシーンの街を見ると,史実現代と大きく変わらない文明レベルであるように見える。カメラや潜水艦,ロボットの技術力とミスマッチに思えるので,人類の破滅に至った大戦の映像ではなく,その後の中興期の映像である可能性がある。その場合,電子工学もいったん一定レベルまで回復したことになる。
機械進化論研究会(カメラに記録されていた映像)
豊かで知的水準も高いことが伺えるものの,既存のロボットを「観察」しているにとどまることも伺われる。おそらく,大戦後の中興期で,野生生物なき時代,無害なロボットの観察が「自由研究」となっているものと想像される(一方で,このロボットから派生したようにも見える多脚戦車が再三登場しており,時系列・表現意図としてはひっかかる部分がある)。
「機械進化論研究会」という名前や,会話の内容から,ロボットが人類の手を離れて自律進化していたことが強く示唆される。
オーケストラ(カメラに記録されていた映像)
なぜか曲はピアノソロである。絵的に仕方なかったのはわかる。
潜水艦システムのセキュリティ
持ってきたカメラを接続できてるのはまずいでしょと思うものの,史実でも USB メモリから原子力発電所の制御システムがマルウェアに感染した例がある(Stuxnet)。
小型機器の電源
産業ロボットはおそらく生産設備から電源を得ていると思われる。潜水艦は原子炉を搭載しており,兵器ロボットもおそらく同様であろう。一方で,二人が入手したデジタルカメラやラジオは,電源の供給を必要とせず機能しているように見える。このような電源は実現可能なのだろうか。
まず考えられるのは原子力電池である。最後に登場した潜水艦の電源は原子力であることが示されているところ,カメラが潜水艦のシステムに接続できたことを考えると,少なくともカメラとは時代が符合する。現在の技術力でも心臓ペースメーカに組み込まれた原子力電池が 30 年以上動作した例が報告されているほか,ロシアでは今も研究が続いており,50 年や 100 年といった長寿命を謳う技術も発表されている。また,作中の生産設備や鉄道等が数百年の時を経てなお稼働していることを考えるに,常温核融合が実現している可能性もある。
他に考えられるのは燃料電池である。燃料電池は化学反応に基づくため,断続的な利用に向く。原子力電池と比べれば格段に扱いやすいため,文明中興期以降に燃料補充ないし新規製造がなされたとしても不自然ではない。特にラジオはアナログ方式のようであり高度な電子工学を必要としないので,おそらく戦後の技術力でも製造可能である。固体酸化物形燃料電池のように固体電解質を採用したものであれば,比較的長期間の保存も可能だと考えられる。
機器自身はそれほどの電源を持たず都市のパワーグリッドから直接非接触送電されている可能性もないわけではないが,エリンギらがカメラもラジオも高エネルギーを蓄えた物体と認識したため,これは考えにくいかもしれない。
もちろん,それぞれの機器は必ずしも同じ方式の電源だとは限らず,さまざまな可能性が考えられる。また,描写を見る限り,核燃料であることが明示されているものを除けば作者も具体的な方式を想定してはいないと見られる。
補論:終末について
これまでにも触れたように,本作は終末論の影響が色濃い。主人公らは過去に存在しすでに成就した,あるいは終わりを見据えた人々の終末論を外から観察しているのだが,さまざまな経験を通して自らも終末論に行き着く。
ここで重要なのは,終末論における終末とは単なる出来事のひとつではなく,むしろ世界の目的であることである。宗教的な終末論における終末は,舌筆に尽くしがたい大災害としてのディティールが与えられている場合が多い。それにもかかわらず,終末を避けようとするよりも,死後の世界を観念するなどして,むしろ進んで受け入れようと試みられてきたのである。この逆説こそが終末論を特徴づけるものである。これは,とりもなおさず,来たるべき終末の前には人為による介入など無力であるという確信に基づいている(この確信は決して頑迷さの結果ではない。中世と近代の思想的画期は因果関係の“発見”により自然が操作可能な客体となったことにあるが,これも実のところ,地球や宇宙のホメオスタシスにより一部の変数に着目すれば済んでいることによってそう錯覚しているに過ぎない。ひとたび自然の操作が困難になれば,高度な科学的理解はむしろ強烈な終末論を生み出すはずである)。
そして,世界の終末は個人の終末=死と相似形をなしている。というより,人の認知(意味論的体系)を通しては,終局的な終わりという概念は死の相似形としてしか認識しようがないだろう。そのため,終末を世界の目的とするのであれば,死を個人の目的とすることになる。もちろん,世界の終末を急ぐことがないのと同様に,死を急ぐという意味ではない。死と終末をより適切に迎え入れることを重視するという意味である。たとえば,終末思想の強い一神教(少なくとも現存するアブラハムの宗教)では殉教がことさらに重んじられる。これは,信仰を護るために命を犠牲にすることこそが死の最良の迎え方であるとされ,したがって終末(神のさばき)の最良の迎え方であるからである。
以上の言及が何にどう関係するのかというと,本作の結末についてである。ふたりは終末を旅し,やがて終末を受け入れた。そうであるならば,私にはつまりはそういう結末こそが最良のハッピーエンドであるように思えるのだが,どうだろうか。
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